無心もしくは夢中になること
2009年 06月 27日
今日会食をともにした人たちと、どんな時に我を忘れて夢中になるか、ってな話をしたのだけれど、絵を描いている時、曲を作っている時、山登りをしている時等々いろいろありました。
私は、料理をしてるとき。しかも何かをたくさん刻む時、かな。刃先に全神経を集中させて速く均一に刻んでいるときは我をわすれているな。。あとは歌を歌っている時。一人っきりのときに好きな曲を周りを気にせず歌ってるときは、歌詞と音のもつ世界に入り込んで自分の声と曲がひとつになって、そしてはっとして我に返る。
そうそう詩を書くときも無心。いや逆?夢中?心にふわっと浮かんでくる言葉をキャッチして繋いでいくからその言葉を逃さないようにすごく集中する。耳を澄ましているのに近い。外に広がるようなのに実は内側へ吸い込まれるようなそんな不思議な感覚。もしかしてこれを内観というのかしら。
あれこれと好きなものが多ければ人との会話も広がるだろうにとも思うのですが、好きなものはここ何年もずっとかわり映えせず。一度好きになるとずっと好き。飽きもせずに同じものをいつも何度でも夢中になれるんだから安上がりだけれど、人から見たら退屈かもしれませんね。
私は、料理をしてるとき。しかも何かをたくさん刻む時、かな。刃先に全神経を集中させて速く均一に刻んでいるときは我をわすれているな。。あとは歌を歌っている時。一人っきりのときに好きな曲を周りを気にせず歌ってるときは、歌詞と音のもつ世界に入り込んで自分の声と曲がひとつになって、そしてはっとして我に返る。
そうそう詩を書くときも無心。いや逆?夢中?心にふわっと浮かんでくる言葉をキャッチして繋いでいくからその言葉を逃さないようにすごく集中する。耳を澄ましているのに近い。外に広がるようなのに実は内側へ吸い込まれるようなそんな不思議な感覚。もしかしてこれを内観というのかしら。
あれこれと好きなものが多ければ人との会話も広がるだろうにとも思うのですが、好きなものはここ何年もずっとかわり映えせず。一度好きになるとずっと好き。飽きもせずに同じものをいつも何度でも夢中になれるんだから安上がりだけれど、人から見たら退屈かもしれませんね。
by pieces_Yoshino
| 2009-06-27 00:35
| Shonan & East daily