足跡の重なり、または波。
2015年 04月 20日
いつもの宿で、オーナーさんが暖かく迎えて下さり、久しぶりのやりとりにあの頃とまるで変わらないテンポやリズムを楽しみました。その当時生まれたばかりの双子のお子さんは、もう幼稚園に通っているそうです。
そのときの私はどこへ行ったのかな?
街路樹も、人並みも、いつものバス通りもお山もお寺も、なにもかも、変わっていませんでした。
もちろん変わっています。切り倒されていてなかったり、古びていたり、すこしはげていたり、立て直されていたり、居なくなっていたり。増えていたり、消えていたり。いろんなものがたしかに変わっていたんだけれど、変わっていなかった。
街を歩く人は少しずつすこしずつ入れ替わり変わっていっているんだけど、でも変わっていなかった。
私がまた歩き出して、足跡を重ね出すと、それは変わっていないことを現しているようでした。
歩けば歩くほど、あの頃の自分が浮き上がって、道に転写されて、歩けば歩くほど今の私まで時間を追って新しく転写され続けて、いつかその先の未来の私までひとりでに映し出されてしまうようだったのでした。
一歩一歩が、波。
一ふみ一ふみが、想いの印。
この街はいろんな人の想いの印でスタンプされていて、それは遥か昔から塗り重ねられていて、もう押す隙間もないくらい。
いつもでないことといえば、これから赴く会に、毎春足を運ぶことになるだろうということぐらい。
命はいつまで続くのだろう。
ずっと忘れず志を持って足を運び続けたいです。
by pieces_Yoshino
| 2015-04-20 11:57
| Kyoto & West daily